礼拝説教要約「まだ生かされている」(2023/7/9)を掲載しました

担当   甲賀正彦伝道師

■聖書箇所
  
  使徒言行録 20章7~12節   エレミヤ書 38章8~18節

■説教要約

窓から落ちたエウティコを生き返らせたのはパウロではありません。生き返らせる力を持つのは神様です。生きるも死ぬも、その権限を持つのは神様です。パウロにはその権限はありません。彼も私たちと同じ人間です。

 エウティコの死は突然でした。それまでの活気に満ちた話し合いは一気に冷めました。突然の死は人を動揺させ、悲しませ、みんなの活力を失わせます。だからパウロは祈りました。「主よ、わが神よ、この子の命を元に返してください」。パウロはエウティコの上にかがみ込み、抱きかかえました。エリヤのように、エリシャのように。するとエウティコは再び、命を与えられました。

 私たちも何故か、命を与えられて生かされています。何らかの使命、任務があるのです。神様は命じておられます。「その命を用いよ、一生懸命生きよ、その命を燃やせ。そのために愛する息子をこの世に送り、十字架にかけたのだ」と。そして私たちは十分に生きて、この世での役割を終えたら、この命を神様にお返しします。すると神様は「よく生きた」と言って褒めてくださいます。

 讃美歌111番「信じて仰ぎみる」は遠く神の国を見ています。そして人生を振り返っていますが、後ろ向きではありません。この歌は希望にあふれて元気です。残りは少ないかもしれないけれど、これまでがそうだったように、これからも主の愛に守られて生きる、その確信があるからです。

 死で終わらない、死の先があります。それはイエス様の約束です。裏切られることはありません。だから今与えられている命を力強く生きる。遠くを見ながらも、今を生きる。いずれ御前に立つ、でもまだ生きて神様に用いられます。私たちは与えられた命を精一杯、力の限り生きるのです。


 


 



 



  



 

  

 

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