真理とは何か(2020/06/07 熊江秀一牧師)*説教音声あり

「真理とは何か」 創世記50節19~20節/ヨハネによる福音書18章28~38a節

熊江秀一牧師

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大祭司カイアファによる尋問の後、主イエスはローマ総督ピラトによる裁判を受ける。ユダヤ人たちは自分の手を汚すことなく、ローマの権力で主を殺そうとしたのである。

しかし神は人の罪深い策略を用いられた。「あなたがたは私に悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために今日のようにして下さった」。創世記50章でヨセフの語った言葉は、主の十字架によって、すべての民の救いとして実現したのである。

ピラトはユダヤ人の訴えの通り、イエスが「ユダヤ人の王」なのか明らかにしようとする。この裁判を通して主イエスはご自分を示される。「わたしの国はこの世には属していない」。さらに「わたしは真理について証しするために生まれ、そのためにこの世に来た」。「わたしは道であり、真理である」(14:6)と宣 言された主イエスは、神の真理を証しするために来 た真理そのものである。

この主の言葉を聞いてピラトは衝撃を受け「真理とは何か」と口にする。才能豊かなエリートであるピラトは主イエスの言葉を理解できなかった。それは彼がこの世の価値観のみに生きていたからである。どんなに世の知恵があっても神の真理は理解できない。世は主イエスの言葉を理解できない。

しかしそのようなこの世のただなかに十字架が立つ。主の十字架によって、神の愛と救いが、罪にしばられた私たちを解放し、私たちに神の真理を告げるのである。

伝説によればピラトは後にクリスチャンになった。主を裁き、「真理とは何か」と問うたピラトは、主の十字架と復活の後、真理に生きる者へと変えられた。 罪深い私たちを救いと命へと招き続ける主イエスに真理がある。この道を共に歩もう。

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