五つのパンと二匹の魚(2020/09/27 高橋真之伝道師*説教音声あり
「五つのパンと二匹の魚」
出エジプト記16章9~18節/マタイによる福音書14章13~21節
高橋真之伝道師
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今回の聖書の箇所で主イエスは、大勢の群衆を5つのパンと二匹の魚によって満腹にさせた、という奇跡を起こされました。この奇跡物語は私達の常識を超えていて、理解することが難しいところがあります。
そうした難しさからある人たちはこのようにこの箇所をこう解釈します。「この時群衆の多くは実はお弁当を持っていた。しかし、持っていない人に分けるのが嫌だった。だが、弟子たちがなけなしの食糧を出したのを見て、心を打たれ、自分たちの弁当を出し合った。だから皆が満足し、12の籠に余るほどになったのだ。」と。つまりこの箇所とは、「分かち合うことの大切さ」を私達に伝えているのだ、という理解です。しかし、この箇所が私達に伝えていることは本当にそのことなのでしょうか。
ここで注目したいのは、この箇所が4つの福音書全てに記されていることです。それは言い換えれば、それだけこの箇所が愛され、語り伝えられたということです。迫害の中にある教会を強く励ます力がこの箇所にはあったということです。弁当を分け合ったという美談にはそのような力はとてもないでしょう。それではこの箇所は私達に何を伝えようとしているのでしょうか。
それは、主イエスの十字架の救いとは何かです。ここで弟子たちが直面したのは、自分たちではこの何万人の飢えた人たちをどうすることもできない、という絶望的ともいえる状況でした。しかし、そこに主の奇跡がなされ、群衆が満たされるのです。主の十字架の救いもこれと同じです。私達は、自分の死や罪を前にどうすることもできないのです。しかし、主の十字架の救いによってその絶望を乗り越えることが出来る。この奇跡とは、まさにこの主の十字架の救いを指し示すものなのです。
迫害の中にある教会はこの奇跡物語から、絶望からの救いがあることを改めて受け取りました。だからこそ、この物語を愛し語り継いできたのでしょう。そして私達も、この救いを与えられた者として、この喜びを多くの人に届けていきたいのです。この喜びは配っても配ってもなくなることはありません。むしろ配るたびに私たちは、主の恵み深さを知ることとなるのです。