言は肉となって(2021/12/12)熊江秀一牧師

■聖書箇所:
ヨハネによる福音書1章14~18節、イザヤ書53章3~6節

■説教要約:
「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た」。この御言葉にはヨハネのクリスマスが集約される。
「言は肉となって」は受肉。永遠無限なる方が、限界ある姿となり、最も低くなられたという驚くべき出来事である。
アドベント(原意・到来)は、アドベンチャー(冒険)と同じ語源である。ゆえにアドベントにも冒険という意味が含まれる。神は冒険し、危険を冒して、人となり私たちのもとに来られた。神の愛ゆえである。愛とは危険を冒してでも愛する者を救いたいと願う。神は罪に満ち、滅びに向かう人の姿を見て、愛ゆえに人となって「私たちの間に宿られた」。この原意はテントを張るである。神はつつましく、無防備とも言える姿で来られた。ベツレヘムの馬小屋での主イエスの誕生はその姿である。
そしてこのお方はイザヤ書53章のように苦難の僕となって十字架にかけられる。私たちの救いために、愛ゆえにそうされた。
私たちはこのお方によって「神の栄光を見た」。神の栄光とは、私たちを愛し、人となられ、私たちの罪を背負って十字架にかかられたイエス・キリストによって現された。
そしてこの主イエスの豊かさによって私たちは「恵みの上に、更に恵みを受けた」。私たちは恵みの連鎖の中に生かされている。
私たちはこのお方によって神を知ることができる。赤ん坊が母の胸元に抱かれ母の心臓の鼓動を聞いて育つように、「父のふところにいる独り子」は神のみむね、御心の最も身近におられる。さらに主イエスは愛する弟子をご自分の胸に抱かれる(ヨハネ13:35)。主に抱かれた弟子はその中で神の御心を知る。
この神の受肉の恵みに感謝し、残るアドベントの日々を歩もう。

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