見えないものに対する希望(2021/6/6)熊江秀一牧師

■聖書:
ローマの信徒への手紙8章18~25節
創世記3章16~19節

■説教要約:
ローマ書の最高峰と呼ばれる8章にはキリスト者の希望が語られている。その希望とは目に見えない希望。キリストの神が約束して下さった将来の栄光の希望である。それは今の苦しみにはるかに勝る。

 まずパウロは被造物の現実を語る。「被造物は虚無に服し」「うめき」「産みの苦しみを味わっている」。それは私たち人間の罪のためである。

 自然破壊の現実を見る時、世界が人間の罪ゆえにうめいている現実を思わずにはいられない。私たちはそれを自覚し、悔い改めなければならない。「被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んで」いる 。「神の子」とは私たち人間のことである。被造物は、私たちが罪に生きる歩みを悔い改めて、神を「アバ、父よ」と呼ぶ神の子として、生きるようになることを待ち望んでいる。その時、被造物も「滅びへの隷属から解放され」「栄光に輝く自由にあずかれる」。自然は人間と一心同体なのである。私たちは「被造物を生かす」という使命が神から与えられている。

 しかしこのうめきつつ待つのは、私たちの姿でもある。聖霊をいただいた者は、自分が「神の子とされること」「体が贖われることを」うめきつつ待ち望んでいる。キリスト者もうめく。しかしその背後にキリストの十字架があり、聖霊の執り成しがある。だから私たちはこの世の苦難や悩みに目を向けるだけでなく、見えないキリストの恵みに目を向け、将来の栄光に目を向けることができる。そこに私たちには希望がある。 この被造物の世界が待ち望んでいる神の子たちの群れは教会である。大宮教会が、神の子たちの群れなる教会として、信仰の希望にあふれ、神の使命に仕える教会として歩んでゆけるように祈ろう。

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