裏切られ、捕らえられた主(2020/05/10 熊江秀一牧師)*説教音声あり

「裏切られ、捕らえられた主」出エジプト記3章13節~15節/ヨハネによる福音書18章1節~11節

熊江秀一牧師

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ユダの裏切りと主の逮捕という受難の箇所が与えられた。ヨハネは受難を悲劇ではなく、主の栄光の出来事として記す。

主は決別説教と祈りを終え、弟子たちとキドロンの谷の向こうへ行かれた。高台のエルサレムとオリーブ山の間のその谷は「暗い谷」という意味である。この谷には神殿の犠牲の小羊の血が流された。過越祭には何万の小羊の血がこの谷に流れたのである。その谷に主が下られたことを思う時、神の小羊である主イエスの犠牲を思わずにはいられない。この谷の向こうに園(ゲッセマネ)があった。主は弟子とこの園に共に度々集まっていた。彼らにとって教会のような場所である。そこで主は弟子に裏切られ、逮捕された。

その時、主はすべてをご存知の上で、捕らえに来た者たちの前に「わたしである」と自ら進み出た。主は私たちを救うために自ら受難に進み出て下さったのである。「わたしである」(ギリシャ語「エゴー・エイミ」)はヨハネではご自身を示す言葉である。同時に旧約聖書では神の民に示された神の名である。主イエスは神の名を現わし受難に進み出た。その時、捕らえに来た人々は「後ずさりし」「倒れた」(平伏したとも訳せる)。世界を支配したローマの一隊も世の権力者も主の前に倒れ平伏したのである。

主は「父がお与えになった杯」を一人受け入れ、受難の道を歩まれた。そうすることで主は私たち一人一人を守って下さった。もはや私たちは剣を取る必要はない。主が十字架の命を持って戦って下さる。

私たちの救いのために神の小羊が低く降り、自ら苦難の道に進み出て、私たちを守って下さる。主は受難によって栄光を現わされる。主に希望を持って歩もう。

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