聖なる生活の実(2021/4/25)熊江秀一牧師

 ローマの信徒への手紙6章15~23節、出エジプト記19章3~8a

今日の箇所でパウロは、救われ、罪から解放された者が、聖なる生活の実をみのらせて歩むことを告げる。

 この背景には、教会が抱えていた問題があった。彼らはパウロの伝えた福音の自由を、自分勝手な自由としてしまった。

 そこでパウロは奴隷をたとえとして語る。私たちは罪に仕える奴隷となって死に至るか、それとも神に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかである。罪から解放され、恵みの下にいる私たちは、再び罪に立ち返ってはならないと宣言する。今やキリストこそ、私たちの主である。だから神の恵みの下で、聖なる生活を送るのである。

 そのために大切なことを、パウロは「伝えられた教えの規範を受け入れ、それに従うこと」だと言う。これは聖書に基づく信仰告白を規範として生活することである。私たちの教会では日本基督教団信仰告白を規範とし、その中で使徒以来の信仰告白である使徒信条も合わせて告白している。その信仰告白を受け入れ、従う大切さを思わされる。

 もう一つ大切なことがある。私たちが常に恵みの原点、洗礼の恵みに立ち返ることである。先週、6章前半で洗礼によって「罪に死に、キリストに生きる」私たちが新しい命に生きるものとされていることを心に刻んだ。私たちはすでに聖なる生活の実を結ぶ者とされている。

 そしてパウロは宣言する。その「行き着くところは、永遠の命」である。

 だからこそ私たちは、自分の思いを越えて、この体を義のために捧げたい。そしてキリストの恵みの中で命の実を結ばせていただきたい。

「あなたたちは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる」。この体を神に捧げて、永遠の命に至る聖なる生活の実をみのらせて歩もう。

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