義と平和と喜びの歩み(2021/11/7)熊江秀一牧師

前回「わたしたちは主のもの」と宣言したパウロは、義と平和と喜びに生きる教会の姿を語る。
信仰の強い人々は自分の救いを確信し「すべてのことは許されている」と自由に生きた。しかしその姿を見て、つまずく信仰の弱い人々がいた。
信仰の強い人々の主張は正しい。しかしその正しさが人のつまずきとなってはならない。正しさを振りかざしはならない。
パウロは「あなたがたにとって善いことがそしりの種にならないようにしなさい」と告げる。「キリストがその兄弟のために死んでくださった」ことを心に刻み、「愛に従って」この「善い」道を歩むのである。
降誕前の季節に、私たちは主のご降誕の恵みに心を向ける。しかしこの季節は同時に、この世の現実と苦難の中にいる人々に目を向けることが大切である。
ドイツが東西に分かれていた時代、ベルリンのある教会では、クリスマスを過ごした後、まず牧師と信徒は、教会で死ぬ者が出なかったことを喜んだ。分断の時代、家族と離れて孤独の中クリスマスを迎える教会員がいた。教会はそういう人を覚え、配慮し、祈りを集めた。自分だけが喜ぶのでない。みんな手をとって、互いに愛し合い、喜び合ってクリスマスを祝うのである。
「神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです」。「だから、平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか」。
22節以下に「確信」が3度登場する。それまで「信仰」と訳されていた言葉である。キリストが私たちのために死んで下さったとの信仰の確信を持って、隣人のために配慮し、愛に生きる信仰の強さを持って、義と平和と喜びの実を聖霊によってみのらせていただこう。

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