私たちの新しい生活(2021/9/12)熊江秀一牧師

■聖書箇所:
ローマの信徒への手紙12章1~2節
イザヤ書63章7~9節

■説教要約:
キリストにおける新しい生活の勧めが始まる。パウロは「神の憐れみによって」「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」と勧める。
「自分の体を神に献げる」とは自分の体を神の側に置いて生きるという意味である。これは伝道献身者だけに止まらない。私たち信仰者が日々の生活において問われることである。
2節でパウロは「この世に倣って(口語訳:妥協して)はなりません」と勧める。私たちは主の恵みを受けていながら、この世に妥協してしまう。そして神に向けていた目、耳、心を、この世に向け、世の虜になってしまう。
ペトロが主の言葉に励まされて湖の上を歩いた時、強風に気づき、主から目をそらして沈みかけた(マタイ14:22)。御言葉に励まされて、主を見つめて歩んでいる私たちも、この世に目を奪われ妥協し、主から目をそらす時、つまずいてしまう。
しかしこの時、主はペトロの手を取り助けて下さった。私たちは不信仰でも「神の憐れみによって」受け入れていただける。
この「神の憐れみ」とはキリストである。この箇所の「憐れみ」と11章の「憐れみ」は違う言葉である。11章後半の神の「憐れみ」は、人間が罪に陥ろうとも、決して変わらない「憐れみ」であった。今日の12章の「憐れみ」は、滅びゆく私たちを見て、神が痛みを持って、心を動かす「憐れみ」である。これは主の十字架の「憐れみ」である。
私たちは自力で「自分を変える」ことはできない。ただキリストによる神の憐れみの中で変えていただける。その時、この世に妥協していた私たちが、「何が神の御心であるか」を求める生き方へと変えられる。
このキリストにおける神の憐れみの中で、新しい生き方へ歩み出そう。

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