神の慈愛と寛容と忍耐(2020/11/29) 熊江秀一牧師

「神の慈愛と寛容と忍耐」

イザヤ書55章1~7節/ローマの信徒への手紙2章1~11節

熊江秀一牧師

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アドベントに大切なことは、主の到来の意味を心に刻み、悔い改めの日々を歩むことである。パウロは「神の憐れみがあなたを悔い改めに導く」と語る。それは神の「慈愛と寛容と忍耐」とも語られる。神の憐れみは私たちを悔い改めに導く。

 しかしパウロは神の憐れみを「あなた」は軽んじたと言う。「あなた」とはユダヤ人。彼らは神の選びを特権意識として異邦人を裁いた。しかしこれは私たちキリスト者にも問われることである。私たちは神の愛を伝える僕として選ばれたことを忘れてはならない。

 それでは私たちが悔い改めに生きるために何が大切か。一つは「神の裁き」、「神は人を分け隔てしない」ことを知ることである。主はすべての人のために来られ、すべての罪のために十字架にかかられた。だれもがこの主の裁きの前に立たされる。しかしこの主にあってだれにでも救いの道が備えられている。この神の裁きを思いつつ、悔い改めつつ歩む。

 二つめは「神の憐れみ」に立ち帰ること。神の「慈愛と寛容と忍耐」は主イエスによって実現した。主は私たちを愛し、受け入れ、忍耐強く待ち続けている。この主に立ち返るのである。三つめは主につながることで、よい実をみのらせていただくことである。

宗教改革の源流、ルターの95か条の提題は「キリスト者の生涯は悔い改めの連続である」から始まる。主によって実現した神の慈愛と寛容と忍耐に立ち帰り、悔い改めて歩む。そこに私たちの信仰の原点と希望がある。 テレビ小説「エール」は戦争でどん底を経験した人々が、神への希望を持って立ち上がる姿が描いた。アドベントを悔い改めの時として、主によって実現した神の憐れみを心に刻みつつ歩もう。

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