神の家族(2022/3/20)熊江秀一牧師

■聖書個所:
エフェソの信徒への手紙2章17~22節、詩編118編22~25節

■説教要約:
パウロは教会を「神の家族」と呼ぶ。かつて私たちは神から「遠く離れて」いた。そんな私たちのもとに「キリストはおいでになり」「平和の福音」によって、「神の家族」という祝福を与えて下さった。
神の家族としての教会は「外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者」とも呼ばれる。私たちはキリストにあって民族や性別、立場に関係なく、教会に招かれ、敵意の壁を壊されて、愛の交わりに入れていただいた。
神の家族としていただく恵みは、聖霊によって可能となる。キリストは聖霊によってわが内に来て下さり、キリストの救いを私の救いとして下さる。今、礼拝を捧げる時、私たちはキリストと出会っている。最初のペンテコステの弟子たちのように、「マラナ・タ」と祈りつつ礼拝を捧げた信徒たちのように、聖霊を求め、キリストをわが内に迎えたい。
さらにパウロは教会を建物のたとえで語る。「そのかなめ石はキリスト」である。「かなめ石」には二つの意味がある。一つは「隅のかしら石」(口語訳)。建物の最も重要な基礎である。詩編はその石を「家を建てる者の退けた石」と歌う。キリストは捨てられた石となり「隅のかしら石」となられた。
「かなめ石」のもう一つの意味は、建物の最後にはめ込み、完成させる石である。キリストは救いと教会を完成させて下さる。
神の家族とされた私たちはキリストのからだとして、聖霊に導かれ、教会を建てるという神の働きに参加する。その時、大切なのは礼拝を捧げ、十字架の恵みの原点に立ち戻ることである。そこに霊的な成長のカギがある。そして教会は一人一人が組み合わされて成長し「主における聖なる神殿」となる。神の家族としての教会の恵みに共に生きよう。

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