神のご計画に生きる(2021/7/4)熊江秀一牧師

■聖書:
ローマの信徒への手紙9章6~12節
創世記18章9~12節

■説教要約:
「神の言葉」は決して力を失うことはないとパウロは宣言する。信仰に生きるとは、神の言葉の力を信じ、神のご計画に生きることである。しかもそれは自分のみならず、被造物世界が、その歴史が、神のご計画の中にあり、神の言葉によって導かれていることを信じることである。
しかし現実は、それが信じられなくなることが多い。その現実の中、神の計画が見えなくなり、神の言葉が聞けなくなってしまう。これは信仰の危機である。
なぜそういうことが起こるのか。それは神のご計画を、目に見えるもので理解してしまうからである。イスラエルもそうだった。彼らは自分がアブラハムの子孫、ヤコブの子孫であることを神の民の理由とした。血縁関係という目に見えるものに救いの理由を見出した彼らは、キリストによる神の救いを受け入れなかった。
パウロはそれを覆し、イサクの子孫と呼ばれると言う。イサクは、アブラハムやヤコブと比べ、何の働きもない。その上、その名は、神の計画を「笑った」という不信の意味である。しかしそんな中、神の約束の実現としてイサクは誕生した。パウロはイサクを誕生させた神の一方的な恵みの計画にこそ、神の民とされる理由があると宣言する。目に見えない神の約束による子が、神の民である。
この神の見えないご計画は、今やキリストによって明らかにされた。イサクが無力と不信の現実の中、約束の子として誕生したように、私たちの無力と不信仰の現実にもかかわらず、神は主の十字架のあがないによって救いを与えた。その神の言葉、ご計画は決して力を失うことがない。
キリストの十字架によって救いを与える神の救いのご計画は、人の行いを越えて進む。この神のご計画を生きよう。

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