礼拝説教要約「祈りの力」(2022/9/4)を掲載しました

担当   熊江秀一牧師

■聖書箇所

エフェソの信徒への手紙 6章18~20節   サムエル記上 3章6~10節

■説教要約

 祈りの勧めが与えられた。私たちの悪との戦いは、祈りの戦いでもある。

「どのような時にも」祈る。うれしい時、悲しい時、どんな時も祈る。私たちは携帯電話にまさる神直通の電話を持っている。それが祈りである。神は私たちのどんな祈りも聞き、つながって下さる。この幸いが与えられている。

「霊に助けられて」祈る。状況は決して楽観できない。悪魔は私たちを神から引き離そうとする。しかし聖霊はうめきをもって私たちを執り成して下さる。

「根気よく」祈る。「やもめと裁判官」のたとえ(ルカ18章)のように。私の祖母は病の苦しみの中、眠れぬ夜に「主の祈り」を何回も祈り続けた。そして平安を与えられた。

 「目を覚まして」祈る。神の言葉をしっかりと聞くのである。少年サムエルが「主よ、どうぞお話下さい。僕は聞いております」と語ったように。祈りとは聞くことである。

 「祈りとは周りの状況を変えるのではなく、祈るその人を変える」(バークレー)。祈りによって、主との深い交わりの中、悪魔の攻撃に対して立ち向かう勇気と力が与えられる。

 「神は最後に一番よい仕事を残して下さる。それは祈りだ。手は何もできないけれども最後まで祈ることはできる。愛するすべての上に神の恵みを求めるために」(「人生の秋に、最上のわざ」ヘルマンホヘールス)。祈りとは最大の奉仕であり、また伝道である。

 私たちは祈りの中で神に強められ、神の武具を身につけて、悪の力に抵抗し、先立つ主の勝利の道を歩む。そして祈りの中で神につながり、神に聞き、奉仕と伝道に仕える。だからパウロは「すべて聖なる者たちのために」祈り、「わたしのために」祈って欲しいと勧める。この秋、祈りの力を確信し、祈る群れとして歩もう。

  

 

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