礼拝説教要約「キリストの内にとどまる」(2022/10/16)を掲載しました

担当   熊江秀一牧師

■聖書箇所

ヨハネの手紙一 2章18~29節  サムエル記上 16章5b~13節

■説教要約
 
 この手紙は、異端の姿を反キリストと呼び、その教えに惑わされずに、キリストの内にとどまることを教える。

反キリストの出現は、主イエスが告げた終末のしるしである。反キリストは「アンチ・キリスト」。否定するだけでなく、それに代わるものという意味である。彼らにとってそれは特別な知恵(グノーシス)であった。

反キリストは今も出現している。科学技術、経済、知恵、豊かさ等。それを自分の手で作り出したかのように思い上がり、それを神の代わりにしている。また自称メシアが現れ、人々を惑わしている。今もヨハネの時代も何もかわらない。

 しかしこの手紙は告げる。教会は反キリストのただ中で「聖なる方から油を注がれ」「真理を知っている」。「真理」はキリストである。私たちは反キリストの世にあって、惑わされることなく、聖霊の油を注がれた者として、キリストに堅く立ち、キリストの内にとどまり続ける。これこそが「永遠の命」である。

「キリストの内にとどまる」にヨハネの教会の信仰がある。彼らはこのことを主が教えた「ぶどうの木のたとえ」を心に刻んで歩んだ(ヨハネ福音書15章)。

ぶどうの木である主に「つながる」とキリストの内に「とどまる」は同じ言葉である。私たちはぶどうの木につながり、キリストの内にとどまることで実をみのらせる。

「ぶどうの木のたとえ」には「つながる」が、二つのこととして言い換えられている。一つは「キリストの言葉がいつも内にある」。一つは「キリストの愛にとどまる」である。

 御言葉と主の愛に満たされて、主イエスにつながって歩もう。聖霊の油を注がれ、主が再び来られる時に向かって、福音の確信を持ってキリストの内にとどまる命の道を歩もう。

 

 

  

 

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