礼拝説教要約「シリア・フェニキアの女の信仰」(2024/6/2)を掲載しました

担当   熊江秀一牧師

■聖書箇所(聖書協会共同訳)
  
  マルコによる福音書 7章24節~30節   創世記 32章23節~31節

   

主イエス一行は異邦人の町ティルスに来られた。そこで汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女と出会う。女は主の足元にひれ伏し、娘のいやしを願った。

 すると主イエスは「子どもたちのパンを取って、小犬に投げてやるのはよくない」と答えた。「子ども」(神の民ユダヤ人)の恵みを取り、「小犬」(異邦人)に与えることはできないと願いを退けた。しかしこれはこの女の信仰を試し、祝福を与えるためである。女は答えた。「主よ、食卓の下の小犬でも、子どものパン屑はいただきます」。

まずこの女は「主よ」と呼んだ。マルコ福音書で主イエスに対して「主よ」と呼んだ人はこの女だけである。ユダヤ人でも、主の弟子でもなく、この異邦人の女だけが「主よ」と呼んだ。しかも口語訳聖書では「主よ、お言葉どおりです」である。この女は主の厳しい言葉に対して、ひざまずき、そう告白した。

 しかもこの女は主にひざまずきつつ「食卓の下の小犬でも、子どものパン屑はいただきます」と申し述べた。子どもが食卓から落としたパン屑を小犬が食べている。そのように救いのおこぼれをいただくことをゆるして欲しいと願った。

 聖書の論争物語の中で唯一、主イエスが負ける物語がある。それがこの物語である。しかし主は負けることをいとわず、それほどの信仰を喜び、祝福を与える。

マルチン・ルターは「この女はヤコブだ」と言った。ペヌエルで神と格闘し、祝福を得たヤコブ。その姿をこの女に見るという。

 主は私たちと向き合い、格闘して下さる。そして祝福を与えて下さる。主はこの女を祝福し、その言葉の通り、娘はいやされた。  主の恵みは満ちあふれ、ユダヤ人も異邦人も救いが与える。主と向き合い、その恵みをいただこう。



  



 

  

 

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