礼拝説教要約「イエスを何者だと言うか」(2024/7/14)を掲載しました
担当 熊江秀一牧師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
マルコによる福音書 8章27節~9章1節 イザヤ書 53章1節~5節
ペトロの信仰告白と主イエスの死と復活の予告が与えられた。この前半の頂点からこれまでとこの先の主の道を見ることができる。
主は弟子に「人々は、私のことを何者だと言っているか」と問う。「洗礼者ヨハネ」「エリヤ」等、世間の見方を伝える弟子に、主はさらに「あなたがたは私を何者だと言うのか」と問う。この問いは、私たちにも与えられている。
ペトロは「あなたは、メシアです」と答えた。この信仰告白は、私たちの告白である。教会はこの告白しつつ歩む群れである。
しかしこの直後、主は告げる。「ご自分のことを誰にも話さないように」。ペトロがイスラエルを解放する力強いメシアを期待していたからである。そして主はメシアとしての自らの姿を予告する。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、排斥されて殺され、三日の後に復活する」。その時、主をいさめたペトロに主は宣言する。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人のことを思っている」。
そして主は、ご自分に従う道を教える。「私の後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を負って、私に従いなさい」。
罪に満ちた自分を捨て、主に自分を捧げる。そして自分の罪を十字架にかけ、主に従って生きる。自分の十字架を負うことは恵みである。
「自分の命を救おうと思う者は、それを失うが、私のため、また福音のために自分の命を失う者は、それを救うのである」。
自分の力(富や行い)で救いを得ようとしても救いは得られない。むしろ罪にまみれた自分を捨て、主に自分を捧げる者が命を救う。
主は十字架にかかり、私たちの罪を負うことで私たちの罪を滅ぼし、命の道を与えた。そして主は復活し命の道へ招いておられる。この命の道を歩もう。