礼拝説教要約「ぶどう園の農夫たち」(2023/3/26)を掲載しました

担当   甲賀正彦伝道師 

■聖書箇所

ルカによる福音書 20章9~19節  哀歌 1章1~11節

■説教要約

ぶどう園の主人が愛する息子を農夫たちのところに送る。
それは、父なる神様が子なるイエス様をこの世へ送ることのたとえです。

 息子を送る、それは最後の手段でした。私たちは言いたくなります。「そんなことしたらダメです。彼らは息子を敬うような連中ではありません。息子が殺されるのが分からないのですか?」。主人はこう答えるでしょう。「分かっている。彼らが何をするかを。しかし、そのために愛する子をこの世に送ったことをあなたは分からないのか?」と。子は死ぬために遣わされたのです。
信じる者が永遠の命を得るために、十字架で死んだのです。神は、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛されたのです。

 讃美歌443「冠も天の座も」は、私たちの心を歌っています。エミリー・エリオットという女性が作った1864年のイギリスの讃美歌です。この歌詞は一つの節の中に正反対のことが歌われています。節の前半は不信仰と拒絶。後半は信仰の告白と神への愛。これは、世間はイエス様を拒絶するけど、私は受け入れます。悪い世間と良い私、という対比ではありません。

 「あなたが困っている時、わたしは怯えて立ち尽くすだけでした。『そんなことがあってはなりません!』でもそれは心の中で叫んだだけ。泊める部屋も差し出さず、荒れ野に追いやり、殺されるのを黙認しました。今さら、あなたをお迎えできる資格などありません。
しかし、今さらですが、あなたが、かけがえのない方であることが分かります。あなたなしでは家も建たないことが分かります。来てくださいませんか?」。

彼女は悔いて、懺悔しているのです。恥ずかしながらもお招きしているのです。
そして、イエス様どうなさるか? 喜んで来てくださいます。





  



 

  

 

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