礼拝説教要約「お遣わしになる神」(2024/2/18)を掲載しました
関東改革長老教会協議会講壇交換礼拝
担当 西谷祐司牧師 (伊勢崎教会)
■聖書箇所(新共同訳)
マタイによる福音書 28章16節~20節 出エジプト記 3章9節~12節
■説教要約
マタイによる福音書 28:19〜20aでイエス様は「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」と弟子たちに命じられました。また出エジプト記3:10で主なる神は「今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」とモーセに命じられました。私たちが信じる神は、人をお遣わしになられる神なのです。神様の人類の救済の歴史は創世記3章のアダムとエバの堕罪から始まりました。キリストによって、人間の罪を赦そうという、神のご計画です。
しかし神は、ご自分だけで救いを完結させるのではなく、欠けの多い被造物である人を召し出されて、用いられるのです。しかも神は遣わしてお終いではなく、必ず共にいてくださるのです。
神はモーセに言いました。「わたしは必ずあなたと共にいる。」(出エジプト 3:12)。イエス様もおっしゃいました。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ 28:20b)。心強い派遣した者への見守りの言葉です。
私も遣わされた伊勢崎の地で、見守りのしるしとして御言葉の光景、聖書の御言葉を実際に見せていただきました。さらに5年間で4人の兄弟姉妹が洗礼によって主の弟子とされました。派遣された働き人による収穫です。
主の日の礼拝の最後には、祝福の前に派遣の言葉があります。皆さんにも「お遣わしになる神」の言葉は向けられているのです。伝道献身者になるだけが派遣ではありません。地区や教区の役目を担うこと、教会内も、地域委員となった長く休んでいる方の元へ足を運び問安するのも主による派遣です。神に派遣される者への恵みが必ずあります。