栄光、神にあれ(2021/9/5)熊江秀一牧師

■聖書箇所:
ローマの信徒への手紙11章25~36節
イザヤ書59章20~21節

■説教要約:
振起日に神の計画を賛美するパウロの歌が与えられた。
ここで神の救いの計画が「秘められた計画」と言われている。英語では「ミステリー」である。パウロは私たちにとってミステリーであり、謎である、神の「秘められた計画」を「ぜひ知ってもらいたい」と語る。「自分を賢い者とうぬぼれない」ためである。
ミステリーの第一の意味は「閉ざす」である。私たちは神の「秘められた計画」の前に口を閉ざし、沈黙してキリストによる神の救いを心に刻むことが大切である。
この「計画」は「一部のイスラエル人がかたくなになった」ことで「異邦人全体」が救われ、そしてついには「全イスラエルが救われる」という計画である。それは旧約の時代から計画されていた。イスラエルの歩みは福音の出来事から見る時、キリストに敵対した。しかし「神の賜物と招きとは取り消されない」。
これらの御言葉の中で「憐れみ」(4回登場)が一際、輝いている。神の憐れみは決して変わらない。「すべての人を憐れむため」である。
私たちの歴史とは罪の歴史である。しかし歴史はキリストによる神の憐れみの中で救いへと向かっている。だから私たちは希望を持つことができる。
そしてパウロは「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか」と賛美する。イザヤ(40:13)ヨブ(41:3)の言葉を引用して。私たちもこの賛美へと招かれている。
「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっている」。私たちは自分の力で生きているのではない。キリストの十字架の命に生かされ、神の救いの計画の中で生かされている。「栄光が神に永遠にありますように」。 私たちも「アーメン」と唱えて、恵みの季節へ歩み出そう。

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