働き手とは誰か(2020/05/24 高橋真之伝道師)*説教音声あり

「働き手とは誰か」詩編31章8節~9節/ マタイによる福音書9章35節~10章4節

高橋真之伝道師

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主イエスは福音を伝道する中で、多くの人と関りを持たれました。その一人一人としっかりと向き合われた主イエスだからこそ、主は人々がどんなに弱っておられるかをよくよく知っておられました。

主の目からは人々は「飼い主のいない羊のよう」でありました。なぜなら人々は、良い羊飼いである神様を見失ってしまっていたからです。そんな彼らを主は「深く憐れまれ」るのです。

ここで使われている「憐れむ」という言葉は、「内臓が引きちぎられそうになるくらい深く誰かのことを思う」という意味の言葉です。一人一人と向き合われた主イエスだからこそ、神様を見失った一人一人を深く憐れまれるのです。そして、主は彼らがそのままであっていい、とは思われませんでした。だからこそ、その人たち一人一人の救いのために「働き手を送ってくださるように、神に願いなさい」と言われるのです。  次の章で、その働き手として十二人の弟子が選らばれます。彼らについて言えば、彼らは決して優れた者達ではありませんでした。むしろ当時どこにでもいるような若者たちでした。これは、主の働き手とは、決して優れた者だけが選ばれるのではない、ということを意味しているのです。

弟子たちは何度何度も失敗を繰り返しました。しかし、主の深い憐れみによって立ち上がり、主の御用に使えていったのです。そして、私たちもそうなのです。欠けだらけの私たちも主の深い憐れみを受けたものとして、主の働き手として用いられるのです。

私たちは主の働き手、主の弟子なのです。そんな私たちは主からいただいた憐れみを持って、それぞれの場所に遣わされていくのです。いつの時代であっても、羊のように打ちひしがれている者がいます。もしかすると、私達が気づいていないだけで、すぐそばにいるのかもしれません。その人たちのところに「私を遣わしてください」と祈りたいと思うのです。


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