主イエスの願い(2020/05/03 熊江秀一牧師)


「主イエスの願い」イザヤ書60章1節~7節/ヨハネによる福音書17章20節~26節

熊江秀一牧師


主が十字架にかけられる前夜に祈られた「大祭司の祈り」の後半が与えられた。その中で主はご自分の願いを祈られた。それは主の弟子と弟子によって主を信じるようになる「すべての人をひとつにして下さい」という祈りである。主イエスの願いは教会の一致である。

教会は分裂の歩みをしてきた。また今、私たちは新型コロナウイルスのために教会に集まれない試練にある。キリストのからだが引き裂かれてしまう現実に、主はどんなに痛んでおられることか。しかし十字架の主はご自分のからだが切り裂かれながら、私たちが一つになるようにとりなして下さる。

一つになるとはどういうことか。この世の一致とは人が協力して作り上げるものである。しかし教会の一致は、父なる神と愛の交わりを持たれる主イエスが、その愛の中に私たちを招き入れることによる。竹の骨が要にまとめられて一本の扇子となるように、まことのぶどうの木である主に、その枝としてつながれることで私たちは一つとされる。

礼拝とはこの一致の時である。違いを持つ私たちが同じ主を見上げ、その愛の中に招き入れられて一つになる。

さらに主はこう祈る。「わたしに与えて下さった人々を、わたしのいる所に、共におらせて下さい」。これは願望でなく「共におらせます」という主のご意志であり決断である。主は罪や死の現実を越えて私たちと共におられる。そのために主は十字架の道を歩まれる。

そしてこれらが「永遠の命を与える」ことであり、天地創造の前から主に与えられていた「栄光」である。主はご自分の命を捨てて、罪人を永遠の命へと導くことで栄光を現わして下さった。主のとりなしの中で私たちも一つなる恵みを歩もう。

主イエスの願い(2020/05/03 熊江秀一牧師)” に対して1件のコメントがあります。

  1. 古久根章典 より:

     教会の一致。それは変わることのない永遠の命という主のとりなしの恵みの中で一つになることであることを改めて確認でき有難うございました。
     この聖書個所は、本来の教会の一致を、教会内におけるこの世的な一致(教会内の人間的存在目的による一致)にすり替える道具に引用されるところがあると感じていました。例えば、教会内の歴史的争いは良くない、だから教会内の意見の相違は良くないというように、、。日本社会では、少なからず、そういう同調圧力的風潮があります。それも私たち人間は弱い者ですから仕方がないかもしれません。
     しかし、一致と真理の関係は、一致は、真理自体であると共に、真理の効果であることを確認できました。つまり、審理による一致でなくてはならないことを、、。イエス様のお祈りは、そういうお祈りです。
     

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