ご自分をささげる主(2020/04/19 熊江秀一牧師)*説教音声あり
「ご自分をささげる主」イザヤ書12章1節~6節/ヨハネによる福音書17章6節~19節
熊江秀一牧師
主イエスが教会と信徒のために祈られた、とりなしの祈りの箇所が与えられた。
ここで主は「聖なる父よ・・・御名によって彼らを守って下さい」と祈った。神の守りは私たちの究極の願いである。世の人々は神の守りを願って「お守り」を持ち歩く。私たちにはそれは必要ない。主が神の守りを祈って下さるからである。この神の守りは「悪い者」(15節)悪魔の誘惑からの守りである。悪魔は私たちを神から引き離し、分裂、対立へと導く。その行く末は滅びである。しかし主はその罪を十字架によって贖い、救い出して下さった。その主が神の守りを祈って下さる。
さらに主は神の守りと共に、私たちを聖なる者とするように祈って下さる。御言葉によって聖なる者となるように祈られた。「あなたの御言葉は真理です」は「あなたについての説教は真理です」とも訳される。世から選び出された教会の群れは福音の説教を聞き続けることで聖なる者とされるのである。だから教会は説教を語ることを止めない。音声配信という形でも説教を語り続ける。
教会の説教がそのような力を持つのは、主が受肉した神の言葉だからである。御言葉である主が説教を通して働かれ、私たちは聖なる者としていただける。
今日の最後に主は宣言する。「彼らのために、わたしは自分自身をささげます。彼らも、真理によってささげられた者となるためです」。「ささげる」は「聖なる者とする」も訳せる。主の十字架の献身は私たちを聖なる者にするためである。そして私たちが「聖なる者」とされるのは「ささげられた者」とされるためである。私たちは主のとりなしの中で主に守られ「聖なる者」ささげられた者として世に遣わされる。