み言葉を行う者(2020/12/27) 熊江秀一牧師

「み言葉を行う者」

創世記1章26~28節/ローマの信徒への手紙2章12~16節

熊江秀一牧師

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ユダヤ人は律法を持っているかどうかで人を判断した。それに対してパウロは律法の命じることを行うことの大切さを教えた。律法の命じることは「主なる神を愛する」ことと「隣人を愛する」ことに集約される。これを行う人は律法を持っていなくても律法を持つことになり、律法がその人の「心」「良心」に記されていることになると告げる。人は「神のかたち(イメージ)」に創造された。これは外見ではなく神の本質がイメージされたということである。その最大のものは愛である。人は律法の教える愛を心に記され、愛に生きる者として造られた。

 しかし律法を行うことは大切だが、それは決して人の救いを決定するものではない。律法では救われない。私たちは律法を守り切ることができないからである。むしろ私たちはその不十分さを神の前に問われることになる。

 しかし神はそんな私たちに信仰による救いを与えて下さった。

 今日の箇所には10回も「律法」が記されている。しかしその中に宝石のようにただ一つ「福音」が記される。主の十字架と復活による「福音」を受け入れる信仰に生きる時、私たちに救いがある。

パウロは福音を「わたしの福音」と呼んだ。彼が今日の箇所で本当に教えたかったのは「わたしの福音」である主の愛に生き、その御言葉に生きることである。律法の教えは「自分を愛するように」と自分自身の愛から始まる。しかし福音は「わたしがあなたがたを愛したように」と主の愛から始まる。ここに私たちの歩むべき愛と信仰の道がある。この主の福音によって律法も完成した。

歳末礼拝に1年のすべてを主に委ね、福音を「わたしの福音」と喜んで、御言葉に生きる信仰生活の原点に立ち返ろう。

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