この人のしたことは(2020/11/22) 高橋真之伝道師

「この人のしたことは」

申命記15章7~11節/マタイによる福音書26章6~13節

高橋真之伝道師

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 主イエスの十字架の出来事が迫るある夜、主とその弟子たちはエルサレムのほど近くべタニアにあるシモンの家で食事の席についていました。するとその食事の席に、ある女性が入ってきたのです。そしてこの人は、主イエスの頭に香油を注ぎかけたというのです。

この人のしたことを見て、その場にいた者たちは驚き、憤慨さえいたしました。なぜなら、その香油とはとても価値のあるものであったからです。弟子の一人がこの人のしたことを「無駄遣い」と言っていることから、おそらく注ぎかけられた香油は少しではなく、なみなみと全て注がれたに違いありません。マルコやヨハネ福音書ではこの香油は300デナリオン(約300万円)だと言われていましたが、そうだとすれば「そんなことに使うより、高く売って貧しい人々に施すことが出来たのに」という呟きはなるほど正論だと言えるでしょう。

この時、この女性がなぜこのようなことをしたのかは聖書には書いてありません。主イエスに対する愛があったに違いありませんが、いずれにしてもこの人のしたことを弟子たちは「無駄遣い」としか受け取りませんでした。これは私たちの目から見てもそうなのかもしれません。しかし、この人のしたことを主イエスは、「良いこと(美しいこと)をしてくれた」と言い、「私の葬りの準備をしてくれたことなのだ」と、この女性が思ってもいなかった意味を与えてくださいました。 

 最後に主は「福音が語られる所どこでもこの人のしたことも語られるだろう」と仰ってくださいました。この主の言葉通りに2000年経った今でも、この人のしたことは語り伝えられているのです。そして私達は、この人の姿から、「美しい」生き方とは何かを教えられます。それは、「ささげる」という生き方です。大きな愛を持って、自分の持つ富を、時間を、能力を、人生をささげる生き方に私達は招かれているのです。私達にとって、この「ささげる」という行為は損をすることのように聞こえてしまうかもしれません。

しかし、主がそこに意味を与えてくださいます。私たちは「ささげる」ということを通して、自分の全てをささげられた主イエスの十字架を指し示す者とされているのです。主が全てをささげてくださいましたから、今度は私達もささげる歩みをして参りたいと思うのです。

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