礼拝説教要約「時が満ちた今」(2023/7/16)を掲載しました
担当 熊江秀一牧師
■聖書箇所
マルコによる福音書 1章14~15節 エゼキエル書 46章13~15節
■説教要約
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」。
この主イエスの宣教の第一声には、この後の主の教えと働き、十字架へと向かうすべての歩みが込められている。さらに言えば、教会と私たちの信仰の原点の言葉でもある。
「時は満ちた」。この時は「カイロス」であり、普通使う時間「クロノス」とは違う。過ぎ去る時ではなく、時間全体を支配する決定的な時である。「満ちた」はクリスマス物語の「マリアは月が満ち」と同じ言葉である。主イエスの誕生は「時が満ちた」出来事であり、神の救いの決定的な時である。
「神の国は近づいた」はこの宣言の中核である。「神の国」は神の支配を示す。その支配は「神の福音」(14節)による。それは神の一方的な愛の出来事、主イエスによって実現した。主は十字架と復活によって、私たちの王となられた。今や主によって私たちは神の国の市民として招かれている。
この神の国に生きるために「悔い改めて、福音を信じなさい」と主は宣言する。私たちは時が満ちた今、神の前にへりくだり、罪を悔い改めて、福音に生きるのである。
しかし今も、苦しみや悲しみがある。「神の国」は始まった。しかしまだそれは完成してないからである。「神の国が近づいた」は完了形、英語で「has come」である。かつて英語の授業で スプリング ハズ カム (春は来た)を習った。雪がとけ、大地が芽吹くと「春が来た」と思う。まだ残雪があり、寒い日でも春を実感する。同じように私たちは主の到来によって「神の国」を実感し、この世の現実のただ中で、日々悔い改めて、主の再臨に向かって福音に生きる。私たちキリスト者の生涯は、主の宣言に始まる「日々、悔い改めの生涯」(ルター)である。