「わたしを愛しているか」(2018/06/17 熊江秀一牧師)
「わたしを愛しているか」 エゼキエル書34章11節~16節/ヨハネによる福音書21章15節~19節
熊江 秀一牧師
伝道師就任式にあたり、復活の主が使徒ペトロを牧者としてお立てになった箇所が与えられた。その中で主は、ペトロに「わたしを愛するか」と3度問い、「わたしの羊を飼いなさい」とお命じになった。これは私たちへの問いかけでもある。
今から24年前、私が新津教会に遣わされた時、先輩牧師が「きみがすべきことは、教会の群れを愛することだよ」と励ましてくれた。主を愛することは、主から託された羊をあきらめずに愛し続けることである。しかし、この主のご命令の前に、自分の弱さを思う。
ここで復活の主が3度命じていることは、弱い私たちへの主の愛を示している。特にペトロは、かつて主イエスを3度拒絶した。そんなペトロの心の傷を主はいやし、新たな召しを与えた。この出来事はペトロの牧者としての選びである。しかし決してペトロが優れているから選ばれたのではない。むしろ弱さがあるペトロを、主が愛と憐れみによって選んだ。
伝道者もそうである。欠け多い土の器を、主は恵みによって選び牧者とされる。しかもその時、主はご自分の方が低くなり、欠け多き器を用いられる。この時、主が「私を愛するか」と問うた愛はアガペ(自己犠牲の愛)、それに対してペトロが「愛しています」と答えた愛はフィリア(友愛)である。しかし主はそんなペトロのために3度目の問いをフィリアに変えた。主の方がペトロに歩み寄られた。
大牧者である主は、私たちに歩み寄り、低くなってご自分の命さえくださった。この大牧者の愛の中で主の牧者は立てられる。この主の命令は教会全体に向かっても命じられている。高橋真之伝道師とともに、この主のご命令に仕えよう。