「神の国は近づいた」(2020/01/19 栗原清牧師)

「神の国は近づいた」申命記4章28節~31節/マルコによる福音書1章12節~15節

栗原 清牧師(日本基督教団武蔵豊岡教会牧師)

神が生み出す時の流れの中で、「霊」は主イエスを荒れ野に送り出した。主イエスが荒れ野に留まる事は、生と死の狭間に置かれる事を意味する。厳しい環境に身を置くことで、主イエスは神に生かされる幸いと、日々当たり前のように与えられている恵みを確認した。

そこで主イエスは、サタンの「誘惑」を受けられる。誘惑は人の心を惑わし、悪や罪への道へ誘い込む見えない力だ。人の心は、心の隙間を埋めようとする心理が強く働く。その心の隙間に、サタンの働く余地を与える。サタンに対抗し完全に打ち勝つことが出来るもの、それが聖書の御言葉である。

バプテスマのヨハネは、人々に悔い改めを求める荒れ野の預言者と慕われた。しかし、彼は人々に強い影響を与えた、という理由で首をはねられる。何という不条理。終末的状況で救い主イエスは、15節「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と宣言された。それは、不条理な時が終わり、神様の直接支配が始まりつつある事を意味する。

主イエスは、すべての人々を神の国へ招き入れるために心を尽くし、魂を尽くして「悔い改めて福音を信じる」事を私たちに求められる。荒れ野は、御言葉が取り次がれ、天使の仕えるところである。私たちにとっては、教会の礼拝である。

自分の家から荒れ野、すなわち教会の礼拝に出ることで、神様は福音の恵みに与らせ神の国へ通じる永遠の命へと救い出される。私たちは今こそ悔い改めて、十字架と復活の主イエス・基督を救い主と信じよう。

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