「主イエスとユダヤ人」(2019/04/07 熊江秀一牧師)
「主イエスとユダヤ人」イザヤ書50章4節~11節/ヨハネによる福音書10章22節~42節
熊江 秀一牧師
新年度最初の主日に、ラザロの復活の場面が与えられた。主イエスは死の力に対して憤りを覚え、ラザロの墓へと行った。洞穴を利用した墓は大きな石で蓋をされていた。この石とは、生の世界と死を分ける隔てであった。その墓に来て主は「その石を取り除けなさい」と命じる。しかしマルタは「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と反発する。マルタは直前まで主イエスが復活と命の神であることを告白していた。しかし、愛する者の墓を前にして、信仰が揺らいでしまった。
そんなマルタに主は「もし信じるならば、神の栄光を見られると言っておいたではないか」と励ますのである。神の栄光、それは死に打ち勝つ栄光、命が輝く栄光である。ゴッホはラザロの復活をテーマにした作品で、主を太陽のような光の輝きとして描いた。この時、死に打ち勝つ主の「命の光」が輝いたのである。
そして主は私たちのために神に祈りつつ、大声で叫ばれる。「ラザロ、出てきなさい」。この時、私たちにどうすることもできなかった死の力が打ち砕かれ、命の光が輝いた。すると「死んでいた人」が、今「生きている人」として「出てきた」。
この出来事は、エゼキエル書の「わたしはお前たちの墓を開く。わが民よ、わたしはお前たちを墓から引き上げ、イスラエルの地へ連れて行く」の実現である。
ラザロのよみがえりを通じて、もはや死が私たちを支配するのではなく、復活と命の神である主イエスが私たちを統べ治めて下さることを知ることになった。
今日、死が私たちを支配するのではなく、命の神である主イエスがともにおられることを心に刻み、主の命の道を歩みたい。この命の道を、信仰の旅を、今年度もともに歩もう。