「わたしたちは神の民」(2019/03/31 西谷祐司教師)

「わたしたちは神の民」出エジプト記6章2節~13節/ガラテヤの信徒への手紙3章26節~29節

西谷 祐司教師

出エジプト記は、ユダヤ人の属性である「神に選ばれた民」、すなわち選民思想の由来に関係する文書である。その根拠は、今日与えられた出エジプト記6章7節に遡る。それでは「神の民」「神に選ばれた民」とは一体何者なのか。

7節で「そして、わたしはあなたたちをわたしの民とし」との宣言がなされる。創世記で神はアブラハムに「あなたとあなたの子孫の神となる」と約束されたが、ここで「あなたたちをわたしの民とする」との約束が追加され、神の選びが明確になる。そして、神の民とされる「あなたたち」とは、5~6節にある「イスラエルの人々」である。直訳すると「イスラエルの息子たち」となり、族長物語に登場するヤコブの子孫だということがわかる。彼らを先祖とするユダヤ教徒は、今日でも割礼や食物規定などを遵守し、神の民であり続ける。

では、私たちキリスト者が「神の民」であるのはなぜなのか。私たちはガラテヤの信徒への手紙3章26節以下の「あなたがたは皆、信仰によりキリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」。

キリスト教は民族宗教ではなく、人種の隔ても、ジェンダーの違いや男女の格差もないのだ。キリストにおいて一つであり、かつイスラエルの人々と同じく、アブラハムの子孫なのだ。

今や地上には、ユダヤ教徒すなわちイスラエルの民と、キリスト者すなわちキリスト・イエスに結ばれて一つとなった二つの神の民が存在するのだ。イエス・キリストの誕生より1200年以上前に「主に選ばれた神の民」となったユダヤ教徒に敬意を表しつつ、私たちは「信仰によってキリストに結ばれて一つになった神の民」として、ともに地上において「神の民」として歩むのである。

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