「インマヌエルの主と歩む」(2018/04/22 髙橋真之伝道師)
「インマヌエルの主と歩む」 詩篇1章1節~6節/マタイによる福音書1章18節~25節
高橋 真之伝道師
このマタイによる福音書の箇所は、クリスマスに読まれることの多い聖書箇所である。従って、4月に読むには大変時期外れのようにも思える。しかし私たちは、このクリスマスの出来事をクリスマスの季節だけではなく、常に心に覚えたい。なぜなら主イエスは「我らとともにおられる」インマヌエルのお方であるからだ。それゆえに、私たちの歩みは常にクリスマスの喜びに包まれているのである。私たちはこの幸いの中で聖書を読むことが許されている。
詩篇の作者は高らかに、神に従う者は栄え、神に逆らう者は滅ぶことを歌っている。しかし、神に従う私たちが苦しみ、神などいないかのように生きている者が栄えているのが私たちの現実ではないだろうか。私たちには、聖書に対する疑いがある。その疑いによって、私たちは神に従うのではなく、神から離れる罪を犯しているのではないだろうか。
しかし、その罪人の私たちのただ中に、主イエスがお生まれになった。それは私たちの歩みに、インマヌエルの主イエスが伴ってくださるということである。私たちの罪がともに歩まれる主によって担われているということである。どのような苦しみや悲しみの中に私たちがいようとも、主がともにおられることを信じてよいのである。ヨセフたちもまた、このことを信じたからこそ、主イエスを産み、育てるという素晴らしい決断ができたのであろう。
私たちもいつでも主を信頼し、この主との親しい交わりの中で歩んでいきたい。