礼拝説教要約「見ないで信じる人」(2022/04/24)甲賀正彦伝道師
民数記13:17~33/ヨハネによる福音書20:24~29
12弟子の一人トマス、彼はハッキリものを言う勇気ある人、物おじしない人、物事を曖昧にしない強い人、知識に貪欲な賢い人です。でも、彼は主イエスの復活を受け入れることができませんでした。復活を信じたい、でも信じられない。疑いと迷いで揺れる人、仲間を拒絶して自分に閉じこもる人、弱い人になりました。
そんなトマスに主イエスは言われます。「見ないのに信じる人は、幸いである」。これは、見なければ信じられなかったトマスを否定しているのではありません。また「見ないのに信じるようになれば良いのだが・・」と期待と不安を語っているのでもありません。主イエスは招いておられるのです。神への信頼へ戻るようにとトマスを招いているのです。
「見ないのに信じる人」それは私たちのことです。なぜ私たちは幸いなのでしょうか? それは主が備えてくださっているからです。一つには聖書です。聖書全体は復活を示し、その言葉を取り継ぐ人(牧師)を派遣してくださるのです。一つには聖霊です。信じる心を与えてくださるのです。もう一つは教会です。主は信仰の仲間を与えてくださり、私たちが主イエスの道を歩むことができるように備えてくださっているのです。
トマスは立ち直りました。そして宣べ伝える人となりました。いろんな人に宣べ伝えたでしょう。「復活なんてない!」と言う人、「見ないと信じられない!」と言う疑り深い人もいたでしょう。でもトマスは諦めません。自分がそこから立ち直ったのだから。人の弱さよく知る強い人となりました。
弱さが強さに変わる、絶望が希望へと変わる、死んで終わりだと思っていた主イエスが、復活して私たちの希望となる。イースターは逆転の物語なのです。