神の愛の誕生(2021/12/19)熊江秀一牧師
■説教箇所:
ヨハネによる福音書3章16~17節、イザヤ書9章1~6節
■説教要約:
クリスマス主日にその出来事を要約した福音の真髄の御言葉が与えられた。この言葉の一番の強調部は「ほどに、愛された」である。神の愛の極みの出来事がクリスマスである。
キリシタンの時代、神の愛(アガペ)の最初の日本語訳は「神の御大切」であった。この言葉は命の危機にも用いられる。神は私たちを滅んではいけない特別な存在として大切に思って下さる。またある宣教師はアガペを「意志」と訳した。神の愛は強い意志の愛である。
なぜ神は強い思いと意志を持って愛されたのか。それは「世」も私たちも、愛されるに値しないからである。「世」(コスモス)は神によって造られた秩序と調和に満ちた世界であった。しかしそれは人間の罪によって崩れてしまった。
神はそれでも見捨てず、強い思いと意志を持って愛を貫かれた。それが独り子を与えるという決断である。
この神が独り子を与える姿は驚きであった。しかもその方は十字架で殺された。だから「神はその独り子をお与えになった」 という言葉は「棄てられた」と訳すべきだと言う人もいる。
この独り子を棄てるという意志、その強い思い、それが神の愛である。神は苦しんで、痛みを持って愛を貫かれた。 その神の愛によって私たちは救われた。
「一人も滅びないで」と訳された言葉は他の箇所では主のたとえの中で用いられている。「見失った羊のたとえ」「無くした銀貨のたとえ」「放蕩息子のたとえ」である(ルカ15章)。滅びとは「失われる」ことである。しかし神は私たちが誰ひとりとして「失われる」ことがないように、捜し求め、救い出す。この驚くべき神の愛の誕生がクリスマスである。
クリスマスからこの神の愛に生きる者として共に歩み出そう。