神の愛に捕らえられて(2021/6/20)熊江秀一牧師
■説教要約:
パウロはローマ書の最高峰8章の最後に一つのことに集中して行く。それは神の愛である。
まずパウロは「もし神が私たちの味方なら」と問いかけ、断定する。その証拠はキリストである。「御子さえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものを賜る」のである。「賜る」は「恵み」という言葉からうまれた。神が私たちに「賜る」ものはすべて「恵み」だということである。しかしそれは、私たちが求めているものと一致するとは限らない。望まないものが与えられる場合もある。しかしそれも、神が私たちに必要なものとして賜る恵みである。
しかもキリストは、神が私たちの味方となって下さるために、いつも執り成して下さる。キリストは、死に打ち勝ち、復活して「神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださる」。だから私たちを「罪に定めることはできない」。
この大きな愛に目をむける時、どんなものも「キリストの愛からわたしたちを引き離すことが」できない。
確かに現実には、私たちをキリストから引き離そうとする様々な力がある。それが計17も記されている。それは外からの迫害の力であり、内面の霊の力である。私たちはそのような内と外の力との戦いにある。
しかしパウロはこの戦いの現実にもかかわらず、キリストによる「輝かしい勝利」を宣言する。キリストは既に世に勝っているからである。
最後にパウロは、この8章を締めくくる賛美を高らかに歌う。「わたしは確信しています。死も、命も・・・主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできない」。
この神の愛をパウロと共に声高らかにほめたたえ、信仰による希望に生きよう。