礼拝説教要約 「ベツレヘムの星」 (2023/12/17)を掲載しました
担当 熊江秀一牧師
■聖書箇所
マタイによる福音書 2章1節~6節 ミカ書 5章1節~5節
■説教要約
アドベント第三主日に東の国の学者たちの旅の物語が与えられた。星に導かれた学者たちは遠い東の国から救い主を礼拝するために旅をして、御子にお出会いした。
彼らは異邦人であり、星を調べて占いをする者であった。ユダヤ人が忌み嫌っていた彼らがクリスマスの喜びにあふれたことは驚きである。
なぜか。それは彼らが上を見上げることができたからである。人間はギリシャ語で「アンソローポス」上へ向く者、神を見上げる者である。しかし私たちはそれを忘れてしまう。ヘロデ王たちも、権力や日常生活に心奪われ、上を見上げる心を失っていた。そして彼らは喜びではなく「不安」(恐れ)にあふれていた。
この恐れは前回のヨセフの「恐れ」とは違う。ヨセフの「恐れ」は神を知る恐れ。ヘロデたち「恐れ」は神を見失った恐れである。はたして私たちはどうか。
東の国の学者たちは星に導かれ、上を見上げて旅をした。東の果て日本に住む私たちも彼らと共に上を見上げて、キリストを礼拝する旅人となることが求められている。
しかし彼らは旅の終わりに失敗をする。救い主が生まれたベツレヘムでなくエルサレムに行ってしまう。ユダヤ人の王となる方が生まれるのなら、国の中心、王宮に生まれると考えるのは当然であろう。そこには救い主の姿はなかった。そして彼らの目から星が見えなくなる。
そんな彼らを再び上へと目を向かせる出会いが与えられる。それは聖書である。ミカ書5章によりメシアがベツレヘムに生まれることを示される。御言葉に従った時、再び彼らの目に星の輝きが見え始める。そして彼らは星の指し示した馬小屋に眠る救い主とお会いする。私たちも東方の学者と共に、御言葉という導きの星に導かれ、救い主を礼拝する旅に出よう。