礼拝説教要約「離れないでください」(2026/2/15)を掲載しました 

      講壇交換礼拝

担当   清水 義尋 牧師 (岩槻教会)

■聖書箇所(聖書協会共同訳)
  
    詩編 22章21~22節  マルコによる福音書 15章33~34節

  詩篇22篇は嘆きから賛美へと移行する歌だ。その前半には、沈黙する神に呼びかけ続ける悲痛な叫びがある。

 詩人に襲いかかる苦痛が具体的に何であるかは明かされていない。けれども、詩人が求めているのは具体的な苦しみの除去ではない。むしろ、彼が訴えるのは「わたしから離れないでください」という嘆願だ。ここに、命の危機に晒されてもなお、主なる神との関係を求める信仰者の姿がある。

 詩人は沈黙する主に対して「なぜわたしを見捨てたのか」と問いかける。この背景には、イスラエルの歴史のなかで受け継がれた救いの記憶がある。したがって、嘆きは不信仰ではなく、受け継がれた信仰ゆえの叫びである。「わたしの神、わたしの神」と繰り返す言葉に、主以外に拠り所を持たない信仰者の姿がある。この切実な呼びかけに、主なる神は応えられる。

 その転機は22節から読み取れる。『救ってください/獅子の口から、野牛の角から。すると、あなたは私に答えてくださった。』主なる神は、確かに詩人の嘆きを聞いておられた。だからこそ詩人は、それまで嘆いていた口で高らかに主を賛美する。

 ここに、わたしたちに不可欠な救いが示されている。たとえ沈黙しておられたとしても、主がわたしたちを見捨てることはない。だからわたしたちは嘆き、賛美することができる。

 では、主なる神との関係は何によって保たれているのか。その答えは十字架にある。

 マルコ福音書15章のキリストの叫びは、22篇の詩人の叫びと重なる。主イエスは、十字架上で父なる神に見捨てられることによって、わたしたちの罪を贖われた。神の子がわたしたちの代わりに見捨てられたからこそ、わたしたちが見捨てられることは決してない。

 主イエス・キリストによって、わたしたちは父なる神に結ばれている。わたしたちは、そのことをこころに刻んで歩んでいきたい。

 



  



 

  

 

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