礼拝説教要約「縛りからの解放」(2024/8/18)を掲載しました
担当 甲賀正彦伝道師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
ローマの信徒への手紙 7章1節~6節 出エジプト記 34章4節~9節
イエス様に出会う前のパウロは、自分は律法を完全に守っていると思いこみ、それを誇り、高ぶり、他の人たちを見下していました。しかし、イエス様に出会って知りました。自分は神様に対して立派な実を結んでいると思っていたのに、それは、死に至る実であったことを。律法には救う力はなく、イエス様を信じる信仰によって救われる、神様の恵みによって救われることを知りました。
律法は、信仰によって適切な3つの意味が与えられました。1.私たちの罪がどれほど深いかを明らかにします。神様の前に正しい人は一人もいません。2.社会の秩序を守るルールとなります。「なんでもあり」の社会は混乱でしかありません。3.目標となります。しかし、努力目標ではありません。私たちの力では到底辿り着けない目標だからです。イエス様につながっているから目標になるのです。
私たちは十字架上で死なれたイエス様の死につながりました。共に死んだのです。イエス様は私たちの罪を背負って死なれたから、私たちは正しいものとされ、律法から解放されました。イエス様は死者の中から蘇った方なので、私たちも新しいいのちに生きています。
私たちはイエス様に出会い、枝としてつながれ、それまでとは違う自分になる。この方につながって出来たぶどうの実は素晴らしいものです。とても自分だけの力で実らせたとは思えない実がなります。それは神様の力です。
讃美歌514「美しい天と地の造り主」では、私を新しくしてください、と願います。新しくなります、新しくなりましょう、ではありません。自分で変わるのではないのです。新しくしていただくのです。イエス様の十字架と復活が、私たちを日々、新しく造り変えてくださるのです。