礼拝説教要約「約束された聖霊」(2025/7/27)を掲載しました 

担当   佐藤潤 伝道師

■聖書箇所(聖書協会共同訳)
  
  エフェソの信徒への手紙 1章11~14節   エゼキエル書 36章26~32節
  
  11〜14節では、神による救いの確かさが具体的に示されています。私たちがキリストにあって受けている救いは、信仰の強さや感情によって左右されるものではありません。たとえ不安や心配に苛まれ、信仰が揺らぎ、時には神を信じることさえ難しく思えるときがあっても、神は、決して変わることのないに決断によって私たちを救いへと選び出してくださっています。この「選び」は、神に選ばれたいという思いや願いに基づくものではりません。ただ一方的な神の恵みによって与えられる確かなものです。

 その確かさの保証として、約束された聖霊が与えられ、神の子どもであり、神に属する者であることが証しされています。約束された聖霊によって証印を受けるとは、私たちが、神によって選び出され、確かに神の子どもとされ、本当に神のものであるということです。聖霊は、不信仰で頑なな石の心を、神を愛し、人を愛する心へと内側から新たに造り変える力です。その働きが実際に現れているのが教会です。私たちを恵みの選びによって教会に呼び集めてくださっています。このことが、神によって選ばれていることの証拠です。いかなる状況の中でも、変わらない神の愛と救いの計画に信頼しつつ、神をほめたたえ続けていくのです。  教会の礼拝で、聖書のみ言葉が語られ、聞かれ、信じて、賛美と祈りを捧げます。そのことによって、聖霊の働きを受け、信じる者とされる。そして、この地上での歩みを神ご自身が守り、神の子にふさわしく生きる者へと変えられていきます。神は約束を必ず守るお方です。だからこそ、私たちはこの確かな希望に生かされながら、神の国を受け継ぐその日を待ち望むのです。この確信と希望に生かされていることに感謝して神をほめたたえていくのです。これが教会の姿であり、キリスト者としての生き方です。

 



  



 

  

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です