礼拝説教要約「神の秘儀」(2025/12/28)を掲載しました
担当 佐藤 潤 伝道師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
エフェソの信徒への手紙 3章1~13節 イザヤ書 42章5~9節
本日の箇所は、教会の現実としての「神の秘義」を明らかにしています。パウロは自らを「キリスト・イエスの囚人」と呼んでいる。それはローマ帝国に捕らえられているけれども、まことの主人である主イエス・キリストの支配と権威のもとに生きている自覚があったからである。彼の投獄や苦難も、神の恵みの計画の中で神の栄光に仕えるものとして受け取っていました。
「神の秘義」とは「キリストの秘義」、すなわち主イエス・キリストの降誕、十字架の死と復活、昇天という出来事によって成し遂げられた救いそのものです。この秘義は、かつての時代には人々に知らされていませんでしたが、今や聖霊によって使徒と預言者たちに啓示されました。その中心は、異邦人が福音によって、キリスト・イエスにあってユダヤ人と全く同じ立場に立たされ、「共に相続する者」「共に同じ体に属する者」「共に約束にあずかる者」とされたことです。
パウロは、この秘義を「キリストの計り知れない富」と呼び、それを異邦人に告げ知らせる務めが、最も小さな者である自分に恵みとして与えられたことを語っている。教会を迫害していた過去を持つ自分が選ばれたのは、神の力と恵みの大きさを示すためである。「神の秘義」は、教会を通して天上の支配や権威に対しても示される。教会は、完全な人々の集まりではなく、弱さや葛藤を抱えながらも、キリストにあって一つとされた群れである。
私たちは礼拝において大胆に神に近づき、「アッバ、父よ」と呼ぶ親しい関係へと招かれています。聖書のみ言葉と聖霊の働きを通して、「神の秘義」を現実として生きる者とされる。新しい年も礼拝を中心に、神の大いなる力に支えられて歩むことへと招かれているのです。

