礼拝説教要約「神の武具を身につけて」(2022/8/21)を掲載しました
担当 熊江秀一牧師
■聖書箇所
エフェソの信徒への手紙 6章10~17節 イザヤ書 59章16~21節
■説教要約
エフェソ書はキリストの平和と共に、私たちの戦いについても語る。その戦う相手は「血肉」人間ではない。「悪魔」「天にいる悪の諸霊」である。「悪魔」(ディアボロス)は私たちを神から「引き離し」対立や滅びへと向かわせる。この戦いのために、私たちは「神の武具を身につける」。
「真理の帯」は変わることのないキリストの真実である。この帯は私たちを神と結び付け、私たちの生きる基盤となる。「正義の胸当て」は義認の恵みである。悪魔は私たちの罪を責め、告発と非難の剣で切りつける。この胸当てはその刃から私たちを守る。「平和の福音を告げる準備を履物」は私たちが福音を宣べ伝えることである。「信仰を盾として取り」「救いを兜としてかぶり」、御言葉という「霊の剣」で悪と戦う。この剣は長剣でなく供え物を準備する短剣である。
これらはすべて防御用である。すなわち神の武具は決して攻撃するためのものではなく、悪の力から身を守るためのものである。
それではだれが悪と戦うのか。それはキリストご自身である。キリストは私たちに先立って悪と戦い、主の恵みの御業である十字架によって、悪の支配を打ち破り、私たちを贖い出して下さった。私たちはこの先立つキリストに続いて、神の武具を身につけて、勝利の中を進む。今も悪の敗残兵の誘惑の矢が飛んでくる。負け戦の悪魔は今も弱い私たちを必死で攻撃してくる。しかし神の武具に身をつけた私たちはその攻撃から身を守ることができる。「だから邪悪な日によく抵抗し」神の武具を身につける。
教会は洗礼と聖餐の聖礼典(サクラメント)の恵みを受け、志願兵(意味の一つ)の群れとなる。神の武具を身につけ、悪魔との戦いに勝利しよう。