礼拝説教要約「神の恵みの選び」 (2025/6/22)を掲載しました

担当   佐藤潤伝道師

■聖書箇所(聖書協会共同訳)
  
  エフェソの信徒への手紙 1章3~10節   申命記 7章6~11節
  
 私が説教を担当する朝の礼拝では、エフェソの信徒への手紙からみ言葉に聴いています。前回は、「恵みと平和」についてみ言葉に聴きました。

現代社会において、戦争や紛争、右か左か、賛成か反対かといった分断が、ますます深刻化しているように思われます。今日の教会でも、同じような分断や混乱が全くないとは言えません。多様性が豊かにある一方で、それが一致を難しくさせるという現実もあります。

 本日の箇所では、そのような分断の中にあったエフェソの教会、そして今の時代を生きる私たちの教会に向けて、「神の恵みの選び」によって、教会はキリストにおいて一つにまとめられる、ということが語られています。どちらが正しく、どちらが間違っていると裁き合うのではなく、「神の恵みの選び」に与っている者として、ただ神をほめたたえて生きるのです。神をほめたたえるのが教会だからです。

 神はご計画の実現のために、私たちを恵みによって選び、教会に連なる者としてくださいました。私たちのために十字架の上で死んで、復活され、栄光の体で天に昇られた主イエスが、今や教会の頭として、私たちを守り、支配していてくださっています。神は、ただ主イエスにあって、一方的な恵みによって私たちを選び、今日も教会に呼び集めてくださっています。

 教会は背景や価値観が異なる人々が、共に礼拝をささげている場所です。教会はこの地上において、主イエスにあって一つに帰されていく場所です。神は、聖霊によって、主イエスを通して、私たちを教会に集め祝福してくださっています。

 私たち信仰者は、教会の頭である主イエスの恵みを受けて、神の救いのご計画の中を共に歩む者とされています。ですから「神の恵みの選び」に与っている者として、神の祝福にお応えし、喜びをもって神をほめたたえ続けていくのです。

 



  



 

  

 

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