礼拝説教要約「神のものは神に返そう」 (2025/3/2)を掲載しました
担当 熊江秀一牧師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
マルコによる福音書 12章13節~17節 詩編 24章1節~10節
この世の中で信仰に生きる私たちが、いつも心に留めたい御言葉が与えられた。
人々は主イエスを「陥れようとして」「皇帝に税金を納めるのは許されているかどうか」問うた。
この問いはどう答えても不利になる罠である。許されていると答えたら、律法を冒涜しているとユダヤ人から憎しみを買う。許されていないと答えれば、ローマに捕らえられる。
しかし主は「彼らの偽善を見抜いて」真っ向から問いに答えた。
主はデナリオン銀貨を持ってこさせ、そこに刻まれた皇帝の肖像と銘を示しつつ「皇帝のものは皇帝に」と答える。これは主が世の権力を基本的には認めている言葉である。世の権力は平和と秩序が保たれるように神が委ねた。だから統治者がその責任を果たしている限り、従うのである。
さらに主は重ねて「神のものは神に返しなさい」と答えた。これは神と皇帝の領域を分ける言葉ではない。神の領域の中に、皇帝の領域も含まれ、全てが神のものであることの宣言である。全ては神のご支配の中にある。そのことを心に留めて初めて、私たちは国、政治、世界について語りうる。
内村鑑三の言葉に「私は二つのJを愛する」がある。この二つのJとはジーザスとジャパンである。内村が日本を愛するのは、日本が神のものだからである。神が内村にこの日本で神の栄光を現わすことを命じているからである。だから内村は、教育勅語や軍国主義に対して「否」と語ったのである。
この主の宣言からもう一つ示される。それは神の似姿に創造された私たちには神の姿が刻まれ、イエスの焼き印(ガラテヤ6:17)が刻まれていることである。私たちは神に返すべき神のものである。 全てが神のものであることを心に刻み、全てを神の栄光に帰して歩もう。