礼拝説教要約「礼拝と祈りと伝道に生きるー喜び、祈り、感謝ー」(2025/9/21)を掲載しました
担当 熊江秀一 牧師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
テサロニケの信徒への手紙一 5章12~28節 詩編 95章1~7節
教会全体修養会の主題聖句を心に刻む。まずパウロは教会に対して、指導者を愛し敬うこと。教会員相互が平和に過ごすこと。世のすべての人に寛大であり善を行うことを勧める。テサロニケ教会に勧めた、これらのパウロの願いはすべての伝道者の教会への祈りである。
そしてパウロは教会の群れに対して神がキリストにおいて望んでおられる3つを宣言する。
「いつも喜んでいなさい」。それは少女パレアナが喜びの遊びをしたように、神の恵みを数える生き方である。この喜びの源はキリストである。私たちを愛し、十字架にかかって下さったキリストに、復活して今も共におられ、救いを完成するため再び来られるキリストに、私たち教会の民の喜びの根拠がある。
「絶えず祈りなさい」。キリストの喜びの中で私たちは祈りへと導かれる。祈りとは私たちの生そのものである。「どんなことにも感謝しなさい」。祈りの中でキリストを思い、主に心を向ける時、感謝があふれる。
さらにパウロは教会が喜びと祈りと感謝の生きるための信仰の勧めを語る。「霊の火」聖霊に燃やされて歩むこと。そして「預言」御言葉を軽んじることなく、神の言葉として聞くこと。これは礼拝とその説教を重んじることをも意味する。私たちが聖霊に満たされ、礼拝を重んじることに喜びと祈りと感謝に生きる生活がある。そしてその中で自分の思いではなく、神が今、何を望んでおられるかを吟味し、良いものを求めていく生き方が実を結ぶ。
最後にパウロは祈る。この祈りは私たちの祈りである。キリストが再び来られる時、私たちを聖なる者に、非の打ちどころにない者として下さる。主がその通りにして下さることを確信し、礼拝の民として、喜び、祈り、感謝に生き、伝道に仕えよう。