礼拝説教要約「最後まで耐え忍ぶ者」 (2025/5/18)を掲載しました
担当 熊江秀一牧師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
マルコによる福音書 13章1~13節 詩編 37章1~11節
黙示録は、神の救いの完成を告げる。マルコの小黙示録で主イエスは「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」と宣言する。
聖書の告げる忍耐は、そこに主への希望と信頼がある。その時「戦争の中に平和」「嵐の中に静けさ」がある。
その時に大切なことは、人の手で作ったものを絶対視しないことである。主はエルサレム神殿崩壊を預言した。マルコの時代は、この神殿崩壊に直面していた。人の手によるものではなく、主の恵みに希望を持って、終わりを見据えて歩むのである。
しかしこの神殿崩壊は、明日にでも終末が来るという緊張感を生んだ。弟子たちの、それはいつ来て、その徴は何かという問いは人々の思いであった。
その時、主は「人に惑わされないように気をつけなさい」と告げる。世の終わりの時を告げる教えや、自分をメシアだと名乗る者が現れても、惑わされてはいけないのである。
また主は戦争や災害が起こっても、世の終わりはすぐにはこないと告げる。それは救いのための産みの苦しみの始まりであり、慌ててはならない。むしろその時こそ、自らに気をつけて、主を見上げるのである。
そして主は迫害を預言する。マルコの読者たちは自分の姿に照らして、この御言葉を聞いた。当時、教会は皇帝ネロの迫害を受けていた。しかしどんなに迫害を受けても主を信じる者が無くなることはなかった。この主の御言葉があったからである。そして教会は迫害が証しの時になることを心に刻み、「まず福音がすべての民族に宣べ伝えられねばならない」「話すのは聖霊なのだ」「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」との主の御言葉に生きた。それは主が共におられるからである。主が世の何物にも勝る命の道を備えて下さる。私たちも最後まで立ち続け、命の道を歩もう。