礼拝説教要約「日当は全員同じ」(2023/2/19)を掲載しました
担当 久保島理恵牧師 (東大宮教会)
■聖書箇所
マタイによる福音書 20章1~16節 イザヤ書 41章8~10節
■説教要約
1時間しか働かなかった者と早朝から働いた者も日当は全員同じ。それは、納得できない、不公平で理不尽に思えて仕方ありません。
私は自分は朝早くから働いている者だと思っていたのです。しかし、結婚、家事と子育て、睡眠時間を削っての説教準備などから体調を崩し、伝道者としての働きが出来なくなったとき、私はこのたとえの中の、1時間しか働かなかった人だと思いました。そして気づきました。私は誰よりも早くぶどう園に来て、一番働く者になりたがっていた、それはぶどう園主人のためではありません。よく働く労働者として高い評価を得て、賃金をたくさんもらって、自分自身を満足させるためでした。自分で自分の働きを評価しようとしていたのです。
私たちの働きを本当に正しく評価できるのは、自分でも、上司でも、教師でもありません。一人の人間として人生をどう生きたか、神さまの前にどう歩んだか、それは神さま以外に知る方はいません。
このたとえ話は、朝から働く労働者の視点から読んでいる限り、その意味深さに近づくことはできません。自らの弱さや不完全さを否応なく突きつけられたり、自分が失敗や挫折を引きずりながら生きるしかないことを示されるとき、ぶどう園に呼ばれた労働者に自分自身を見出します。そしてそのときはじめて、主人の憐れみ深さを我がこととして本当に知ることになります。主人に見出され、主人の元で働くこと自体が大きな恵みであり、賃金には換算できない喜びがあると分かるのです。
私たちは自分で評価する必要はありません。神様に呼ばれた私たちは、すでに豊かな恵みを約束されています。主のもとに生かされていることを心から喜び、感謝しましょう。