礼拝説教要約「教会はキリストの体」(2025/8/24)を掲載しました 

担当   佐藤潤 伝道師

■聖書箇所(聖書協会共同訳)
  
  エフェソの信徒への手紙 1章15~23節   詩編 110章1節
  
 私たちの「心の目」を照らし、キリストに示された神の絶大な力を悟らせてくださるようにとパウロは神に祈り願っています。その絶大な力とは、主イエスを死から復活させ、天に上げられ、神の右に座らせ、この世の見えるもの見えないもの全てのものを支配している力です。この全てを支配されている主イエスを、神は教会の頭として与えてくださいました。

 教会は人の努力や集まりから始まったのではありません。主イエスが頭に据えられてこそ、初めて教会は「キリストの体」とされるのです。イエスが神の右の座にあることと、教会の頭であることは密接に繋がっています。 このことは、ペンテコステの出来事と関連しています。聖霊を注がれた使徒たちは、力を受けて福音を伝え、やがてその福音がこの大宮の地にも届きました。こうして生まれた大宮教会もまた、主イエスを頭とする「キリストの体」です。

 教会は確かに弱く罪深い者が集う不完全な共同体です。しかし同時に、「すべてにおいて満ちておられる方」が満ちている場所でもあります。教会は、頭である主イエスの恵みと愛に満ちあふれているところです。今も天におられる主イエスが、聖霊を通して私たちの教会に恵みと愛を注ぎ込んでくださっています。

 教会に招かれている私たち一人ひとりは、主イエスに結びつき、それぞれ与えられた賜物をもって「キリストの体」をかたち造っていく役割を担っています。信仰と愛を土台に一致して、受け継ぐべき神の国を待ち望む希望に生き、その姿を通して神の栄光を現すのです。

「教会は主キリストの体にして、恵みにより召されたる者のあつまり」です。恵みによって招かれている私たちは、聖霊の働きによって、頭なるキリストに結びつき、大宮教会を「キリストの体」としてかたち造り、神の栄光をこの世に証ししていくのです。

 



  



 

  

 

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