礼拝説教要約「救い始めの子」(2024/12/15)を掲載しました
担当 甲賀正彦牧師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
士師記 13章1節~5節 フィリピの信徒への手紙 4章4節~9節
サムソン。この悲しい悪のヒーローは、両親を悲しませ、誰からも理解されず、女性に裏切られ、壮絶な最後を遂げる劇的な主人公ですが、私たちと無関係ではありません。私たちが信じる神様とイエス様が、サムソンの行動の中に示されているからです。この物語の人たちは誰もそのことに気付きません。イスラエルはサムソンを厄介者だと決めつけ、両親も狼狽えるばかり。サムソン自身も気付いていません。サムソンが最後の力を振り絞るときも、神様に願うのは個人的な恨みを晴らすため。イスラエルを救うために自分が用いられていることを理解しないのです。
サムソンは神様の御用のために選ばれ、用いられました。神様の御用をなす人は、高潔で、模範的な人物とは限りません。神様の計画は大きく、自由で、力強い。人間の欠点を用いることがお出来になるのです。
神様は私たちを選び、神様の御用のために用いられます。「私が選ばれているはずはない、聖らかでもないし、ふさわしくもない。」そう思っていませんか? サムソンを見てください。自分勝手で、女性にだらしなく、怒りにまかせて大暴れ。味方からも見放される破滅的なサムソン。そんなサムソンを神様は立派に用いてくださいました。ヘブライ人への手紙11章で、信仰の英雄ダビデやサムエルが挙げられる中にサムソンもいます。私は嬉しくなります。信仰の英雄のリストにサムソンが入る、それなら私でもお役に立てるかもしれない、そう思えるのです。
今私たちはアドベントの中にいます。じっとして待つ、受け身ではない動的なアドベント。本当の神様を知っている人が極めて少ないこの日本で、神様は私たちを選び、用いようとされます。そのために生かされています。神様の御用のために働く、それは光栄なこと。神様は私に何を命じておられるのだろう? 期待しながら待つアドベントです。