礼拝説教要約「救い主誕生の喜び」(2025/12/21)を掲載しました
担当 熊江 秀一 牧師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
マタイによる福音書 2章1~12節 イザヤ書 60章1~7節
クリスマスは「神が人となった」出来事である。罪に満ち、滅びへと向かう私たちを、神はなおも愛し、救うために人となられた。しかもこの時、神は極限まで低くなられ、十字架の道を歩まれた。クリスマスの喜びの根底には主の十字架がある。
クリスマス主日に、先週に引き続き、東方の博士たちの物語が与えられた。異邦人である彼らは星に導かれて、上を見上げ、神を見上げて旅をしてきた。それに対してヘロデ王やエルサレムの人々は上を見上げる心を失い、不安と恐れを抱いていた。私たちはどうだろうか。
そんな博士たちも人間の常識から星を見失う。しかし御言葉によって救い主誕生がベツレヘムであると示され、再び星が見え始める。その時、彼らは喜びにあふれた。御言葉こそが導きの星である。
「星」は厳密には「昇りゆく星」と訳せる。この星は低いところから現れ、最も高く昇った時、ベツレヘムの幼子の上に止まった。この星が指し示す救い主も最も低いところに現れた。最も高き方が低く降られ、貧しい幼子の姿で誕生された。
彼らは幼子を礼拝して、黄金、乳香、没薬を捧げた。この宝には様々な意味があるが、彼らの最も大切な占いの道具を捧げたということである。それは神の栄光のために、自分自身を捧げる姿である。神の栄光のために自らを捧げ、その光に照らされて歩むという新しい生き方がクリスマスから始まった。それはイザヤの告げた主の栄光の出現であり、主の光に招かれ生きる新しい人生である。 東方の博士たちは「別の道を通って」自分の国に帰った。救い主と出会い、自分の宝を捧げた彼らは、神の栄光に生きる新しい人生の旅を歩み出した。私たちもこのクリスマスから神の栄光に生きる新たな旅を始めよう。

