礼拝説教要約「救いの系図」(2025/11/30)を掲載しました
担当 熊江秀一 牧師
■聖書箇所(聖書協会共同訳)
マタイによる福音書 1章1~17節 創世記 12章1~4節
マタイ福音書の冒頭の「イエス・キリストの系図」はキリストによる救いの系図である。その中に私たちの名前も含まれる。
この系図は、アブラハムに始まりキリストに至るイスラエルの歴史を14代ずつ三つに分けている。御言葉に従ったアブラハムと、彼による万民の祝福の約束からイスラエルの歴史は始まる。しかし彼らは神を忘れ、滅びの道を歩み、さらに暗黒の歴史を歩む。その中に神はキリストを与える。14は「数の箴言」と呼ばれると同時にダビデを象徴する。この系図には、罪の歴史とダビデのようなメシアを与える神の救いが込められる。
この罪と救いを明らかにするためにマタイは系図に5人の女性を入れた。これは驚くべきことであった。
遊女の姿となり、義理の父ユダに体を売って子を作った「タマル」。異邦人の遊女「ラハブ」。イスラエルが忌み嫌った民族のモアブ人「ルツ」。そしてダビデ最大の罪となった「ウリヤの妻」。最初の14代の中にさえ、罪の現実が明らかにされる。しかしここで明らかにされるのは女性に対する浮気心と共に神に対する浮気心であった。ダビデ王以降の歴史は、まことの神から離れ、偶像や武力に心奪われていった罪の歴史である。その結果、国は滅び、大国の力に翻弄される暗黒の歩みとなる。そして王家の家系は貧しい大工ヨセフに至る。その妻「マリア」から主イエスがお生まれになった。
罪にまみれた横軸である人間の歴史の只中に、縦軸の出来事として神の御子が突入して下さった。その時、私たちの罪の系図はキリストによる救いの系図となった。
「系図」は「出来事」「物語」とも訳せる。ここからキリストの十字架と復活による私たちの救いの物語が始まった。その神の救いの物語に心を刻もう。

