礼拝説教要約「招きにふさわしく歩む」(2026/2/22)を掲載しました 

担当   佐藤 潤 伝道師

■聖書箇所(聖書協会共同訳)
  
  エフェソの信徒への手紙 4章1~7節   詩編 100章1~5節
  
 これまでパウロは、神への賛美と祈りを通して、教会の土台が、「神の秘義」すなわち、キリストによる十字架の死によって救われた者たちが一つの体とされた恵みへの信仰にあることを示してきた。その恵みを受けた私たちに向けて、4章からは「ですから」と語り出し、救われた者としての具体的な歩みを勧めている。

 信仰生活とは、自分の努力によって救いを保つことではない。祈りや聖書朗読はもちろん大切ですが、それを自分の義務や力で支えようとすると疲れが生じる。逆に、恵みに甘えて、新しく変わることを求めなくなると、信仰は衰退していく道をたどる。どちらも信仰を個人の問題として捉えるところから生じている。

 パウロは、信仰生活とは、「招きにふさわしく歩む」ことだと語る。すでに神に招かれ、教会に加えられた者として、その恵みに感謝し、応答し、一つの希望に向かって共に生きる歩みである。この勧めの中心は教会の一致を守ることにある。キリストが十字架によって与えてくださった平和に結ばれ、「霊による一致」を保つことが求められている。

 その具体的な姿が、謙遜、柔和、寛容、そして愛をもって互いに耐え忍ぶことである。これは私たち人間の努力ではなく、聖霊によって内なる人が強められ、キリストの愛が心に根づくことによって可能となる。教会の一致は私たちが作るのではなく、三位一体の神に基づいて、すでに与えられている現実である。「7つの1つ」に示されるように、父・子・聖霊なる神が一つであることが、教会の揺るぎない土台である。

 だからこそ私たちは、その一致を守りつつ、多様な賜物を生かして歩むのである。自分の努力でも甘えでもなく、すでにいただいている神の恵みに感謝して応答する。それこそが、詩編100編が歌うように、感謝と賛美をもって主の前に進む歩みであり、「招きにふさわしく歩む」信仰生活なのである。

 



  



 

  

 

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