礼拝説教要約「押しつぶされそうになる主」(2023/10/8)を掲載しました

担当   熊江秀一牧師

■聖書箇所
  
  マルコによる福音書 3章7~12節   イザヤ書 46章3~7節

■説教要約

ここには驚くべき主イエスのお姿がある。群衆に押しつぶされそうになるという姿である。しかもこの時、主は弟子たちに小舟を用意させた。

マルコはこの出来事を通して、世のすべての人が主の救いを必要としていること。その人類の重荷と罪の悩みがとてつもなく大きい深いものであること。その救いの業を示そうとした。

 この群衆は「おびただしい群衆」であり、イスラエルの全土、異邦人の町から集まってきた。すべての人が主の救いを求めているのである。

 しかし人類の重荷と罪の悩みは、主さえも押しつぶすほど深刻であった。もちろん主が神の力を使えば、逃れることも支配することも簡単であった。しかし主は私たちを愛するがゆえに、押しつぶされそうになるほどに身を委ねた。ここには主の十字架が暗示されている。

 この時、主は小舟を用意させた。それは群衆から逃れたと言う人もいる。ここにもメッセージが込められる。主は群衆の救いと宣教を弟子たちに委ねられたのである。「小舟」は教会である。主は自ら小舟に乗り、弟子たちが群衆一人一人と向かい合い、救いを届けることを求められた。

 「群衆」(大衆)は「かたまり」という意味を持つ。人間を個としてではなく、十把一からげに「かたまり」とすることの悲劇が歴史の中でしばしば起こった。それは悪魔的な働きである。しかし主は群衆一人一人に向き合われる。そのために弟子をお立てになる。そんな主に向かって悪霊は「あなたは神の子だ」と叫んだ。自分たちを打倒す者だという叫びであった。

主はすべての人の救いのために一人一人を向き合うために弱さを持つ弟子たちをお立てになる。
神学校日にあたり、主の弟子に委ねられた伝道の意味を心に刻み福音宣教に仕えよう



 



 



  



 

  

 

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